彼とは中学以来の友人関係で、私にオートバイなるものの存在を教えてくれた人物であります。
同じ高校での3年間をオートバイ一色で過ごしているそんな時代にレーサーレプリカブームが起こりました。
当時の私の自宅近くの自転車屋さんに、なんと発売されたばかりの「RGΓ(ガンマ)250」が置いてありました。

当時としては考えられないレーシングマシンそのままのスタイルや素材は衝撃的なデビューであり、そんな貴重な発売すぐのマシンが広さが5坪もないんじゃないかという自転車屋に置いてあるというのは不思議で仕方ない状況でした。
そのからくりは、実はその自転車屋さんは当時のスズキが生産したものの売れずに在庫がバカほどあった原動機付自転車という名前そのままの「スージー」や「スワニー」といったミニバイクを格安で売りさばき、自転車のおばさん達をミニバイクに乗り換えさせていったのでした。

その結果、スズキの大量の不良在庫をさばいたご褒美として本来手に入るわけのない「RGΓ250」を仕入れるに至ったようです。
今思うと、傷がつかないようにラップのような透明フィルムで厳重に包まれていた「RGΓ250」は滑稽でさえありました。
ところが、この一見自転車屋さんでしかないこのお店には「刀」などのビッグバイクに乗るお兄さん方も常連でだったのでした。
そんなある日、当時はヤマハ命だったこの友人を「RGΓ250」が置いてあるからとこの店に連れていったことから始まって、二人してその店に出入りするようになります。
そして、進学志望のなかった私達二人は周りのみんなが受験勉強を始める時期にこのお店でアルバイトをはじめました。
アルバイトと言ってもそこは実態が自転車さんなので、放課後に自分たちのバイクをいじりながら中古自転車を作ったり、パンク修理をしたりといったことをしていました。
ですが、もともと新聞配達に始まり中華屋の皿洗いに小さなスーパーのレジ等いろんなアルバイトをかけ持ちしていた私は、そんな状態に疑問を感じてそのアルバイトは離脱し、彼とは違う道を歩みだしました。
残った彼は、そのままそのお店に就職することとなるのですが、小さな自転車屋だったそのお店はスズキのビッグバイクのお店となり、彼は店長を任される事となりました。
ところが、オーナーの経営がうまくいかず、彼はそのままスズキの直営店にいくこととなり、晴れてスズキの社員となりました。
その後、いくつかのお店を任された後に転機が訪れ、任されていた尼崎のスズキのお店を個人で引き受け経営者となったのでした。

一方、一旦就職したものの方向転換して大学へ進み、早々に結婚して4人の子持ちとなった私はオートバイにも乗らなくなり、彼とは全く違う道を歩んできました。
ですが、オートバイが全てと言ってもいい同じ時を過ごしたことで、彼とは今でも良き友人関係です。
彼が未だに独身で、経営も大変そうなのが気掛かりではありますが、これからもずっと大事な友だちなんだと思います。
現在、通勤で使用している100ccのスクーターは私が彼から初めて買ったオートバイです。
本当は、新車を買ってあげたいけれど、キャンピングカーオルビスIOを所有することとなった今は、それも無理な話です。

ぜひご自慢のバイクで参加してください。お待ちしております。http://ameblo.jp/kisekinominute/
告知ありがとうございます。楽しそうな企画ですね。機会があれば参加させていただきたいと思います。